
どもブロガーのtakaです。
今やニューヨークヤンキースで活躍する田中将大投手や、古田敦也さんや野球日本代表監督の稲葉篤史さんなどプロ野球界を代表する選手を多く育てた名伯楽、野村克也さんがお亡くなりました。
今回はそんな野村克也さんの奥様だった野村沙知代さんことサッチーとの出会いや再婚はいつだったのか、またサッチーの元夫についてもお届けしていきます。
お二人が出会い再婚したという話は有名すが、サッチーは元夫とはどんな理由で離婚したのか、気になる離婚理由について調べて見ました。
サッチーとノムさんの間には、元プロ野球選手で現在、楽天ゴールデンイーグルスの1軍コーチを務める一人息子の野村克則さんがいますが、サッチーと元夫との間には子供はいたのでしょうか?また、いたとしたら子供は何人いたのかについてご紹介していきます。
では今回も最後までお付き合い下さい。
サッチーと野村克也の出会いは再婚はいつ?
妻が脱税で逮捕されたことで阪神の監督を辞任したノムさん。
夫婦最大の危機を迎えるなかで、この世で野村沙知代の夫を勤められるのは私しかいない、と言った。ちょっとぉ、これって2回目のプロポーズだよね。泣くわ。 pic.twitter.com/wvggbgr1Vc
— ナンシー・トルネアータ (@kitty__keiko) February 11, 2020
ノムさんとサッチーは球界でも有名な、おしどり夫婦でしたが、お二人とも再婚なのですが、そんなお二人の馴れ初めについてご紹介します。
二人は、1970年(昭和45年)に出会いました。
きっかけはノムさんが所属する南海ホークスが後楽園球場で開催される東映フライヤーズとの試合のために上京したときに、訪れた行きつけの高級中華料理店で沙知代さん【サッチー】と相席になり、一緒に食事をともにしたことです。
野球を全く知らなかったサッチーが、ノムさんの職業について尋ねた時に、ノムさんが「雨が降ったら商売になりませんわ」と応えたので、サッチーはノムさんの職業を工事現場の監督さんだと勘違いしたらしく、ノムさんが着ていたジバンシィのYシャツを見て、最近は建設業界も景気がいいのだと思ったというエピソードがありました。
ノムさんの沙知代さんに対する初対面の印象はこうでした。
「世の中には、えらい活発な女性がいるもんやな」という印象だったそうですが、サッチーからもらった名刺に取締役社長と書いてあるのを見て、更に驚いたそうです。
ちなみに、当時のサッチーはブームで沸くボーリング関係の会社の経営に関する仕事をしていたようです。

俺たちの世代はノムさんって言うたら、ヤクルトスワローズの監督ってイメージやね!

南海ホークスはなんとなく分るけど、東映フライヤーズって何?

今の北海道日本ハムファイターズの前身みたいやで!
サッチーと野村克也【ノムさん】ダブル不倫してたって本当?
沙知代さんと永久にお幸せに。#野村克也 pic.twitter.com/RQrSwDfrWY
— イケハヤ (@ikehayakimoi) February 11, 2020
お二人が初めて中華料理店で出会ってからしばらくは沙知代【サッチー】はノムさんの愛人という関係になりました。
というのも、ノムさんには本妻がいましたが、離婚調停中で別居していたそうです。
当時は離婚調停で精神をすり減らしていたノムさんですが、そんなノムさんを4歳年上のサッチ-が癒やしてくれたのでしょうね。
一方、サッチーの方も米軍将校と結婚していましたが、二人は愛人関係を続けました。
そんな最中の1973年にノムさんとサッチーの間に、現在楽天1軍のコーチを務めている野村克則さんが誕生しました。
克則さんが誕生した時も、二人ともそれぞれの夫、妻と離婚が成立しておらず、ノムさんも、すぐには克則さんを認知しなかったそうですが、その後1974年に認知されました。
ノムさんが本妻との離婚が成立したのは、克則さんを認知してから4年後の1978年です。
一方、サッチーと米軍将校との離婚が成立したのが1976年で、ノムさんの離婚が正式に成立した1978年4月に二人は晴れて結婚しました。