鬼滅の刃最終回その後ゆしろう生きてる理由鬼正体テーマ考察
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社会現象までになった、鬼滅の刃が週刊少年ジャンプ205話をもって最終回を迎えました。

最終回については賛否両論いろいろと意見があるようですね。

私も一ファンとして、楽しみにしていただけに現代版として、その後を描いて欲しいという気持ちもあり、また潔い終わり方ですっきりしたという気持ちもあり複雑です。

最終回は、無惨との死闘で活躍した炭治郎たちの子孫や、悲しくも散っていった柱たちが生まれ変わったその後の現代様子が微笑ましい内容で描かれていました。

今回は最終回で愈史郎(ゆしろう)が、唯一鬼として生きてる理由について、作者の吾峠呼世晴先生が「鬼滅の刃」に込めたメッセージテーマを考察していきたいと思います。

ヒントは鬼の正体にあるのでは・・・

では『鬼滅の刃最終回その後ゆしろうが生きてる理由は?鬼の正体から考察!』最後までお楽しみ下さい!

 

鬼滅の刃最終回その後の愈史郎【ゆしろう】

炭治郎たちと無惨や上弦の鬼との最終決戦でも、活躍した鬼の愈史郎でしたが、私は愈史郎がひょっとしらた、無惨に取り込まれてしまうのではないかとハラハラしながら読んでしました。

しかし、最愛の珠世様が無惨によって殺されたことで、愈史郎は覚醒し上弦の鬼・鳴女を倒し、無惨に精神的ダメージを与えるのでした。

そんな、愈史郎ですが、大正時代から現代に舞台が移った最終回では最愛の珠世様の肖像画を描く画家となっていました。

しかもその絵が世界的に高く評価されるまでの実力者になっていて驚きです!

でも、鬼だからお日様の下には出られなくて、ひっそりと絵を描き続ける謎多き男・山本愈史郎と紹介されていました。

 

愈史郎【ゆしろう】と珠世の関係

愈史郎(ゆしろう)は無惨の血で鬼なったのでなく、珠世の手により鬼となりました。

かつて、人間だった愈史郎は重い病に冒されいて、余命いくばくもない状況でしたが、医者だった珠世と出会い救われました。

珠世は愈史郎に鬼になれば生き続けらることを伝えます。

愈史郎は珠世に鬼にしてもらい生きる道を選びました。

珠世の手で鬼になった愈史郎なので、無惨の呪いとは関係がないし、人の血も少量で済むので人を喰らう必要もなく、他の鬼とは全く異なる存在です。

そんな、愈史郎は珠世のことを心底慕っていました。

炭治郎が珠世に年齢を聞いたときは「女性に年齢を聞くな無礼者!」と炭治郎を殴る場面があり、愈史郎の珠世に対する強い想いが感じられます。

 

最終回ゆしろうが生きてる理由

鬼の愈史郎が現代まで生きている理由は、鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)に由来する鬼ではなく、珠世による鬼だからです。

人の血もごく少量で済むので、人を襲うことなく、なんらかの手段で血を手に入れてひっそりと現代まで暮らしてきたと考えられます。

ちなみに大正時代、珠世と一緒にいた時はこのようにして人の血を手に入れていました。

「金銭的に余裕の無い方から輸血と称して血を買っています。もちろん彼らの身体に支障のでない量です。」(鬼滅の刃2巻より)

では、作者・吾峠呼世晴先生は、人に危害を加える圧倒的悪の存在の鬼と人に危害を加えない愈史郎や珠世、豆子のような鬼、なぜ2つに分けたのでしょうか?

 

鬼との共生がテーマ?

鬼滅の刃とは正義の味方の主人公(竈門炭治郎)が悪の存在である鬼(鬼舞辻無惨)をやっけるという勧善懲悪物語ではなく、鬼(悪)との共生や共存が作品のテーマに含んでいるのではないかと私は感じます。

その理由は、倒した鬼に炭治郎が同情する姿や、第6巻で登場する胡蝶カナエが妹の胡蝶しのぶに託した「哀れな鬼を斬らなくて済む方法があるなら考え続けなければ」というセリフなどがあります。

ではなぜ、作者・吾峠呼世晴さんは鬼との共生をテーマとしたのでしょうか?

「鬼滅の刃」での鬼とは一体、何なのでしょうか?

 

鬼の正体は?

鬼の正体は全て元は人間です。

鬼になった人間、人の血肉を欲し、常に飢餓状態です。

異常なまでの身体能力を誇り、不老不死の存在で、例え腕を落とされるなど身体を傷つけれたとしても、すぐに再生します。

しかし、鬼殺隊がもつ日輪刀をいう刀で頸を切られたり、太陽光に晒されたり、藤の花の毒を体内に打たれる、滅んでしまいます。

では一体なぜ人間が鬼になってしまうのでしょうか?

それは、鬼の始祖鬼舞辻無惨の血が体内に入り、その血に耐えることができた者が鬼となるのです。

鬼の中でも上弦の鬼と呼ばれる最強の鬼の集団が存在しますが、物語では、上弦の鬼もかつて人間だったエピソードが必ず描かれてます。

鬼の始祖である鬼舞辻無惨もかつては人間で、人間だった頃のエピソードが描かれています。

この鬼の人間だったころの物語描写に、作者・吾峠呼世晴さんが伝えたいメッセージがあるように思います。

では、鬼が人間だった頃を描き伝えたかったメッセージとは何だったんでしょうか?

主要な鬼の人間だったころのエピソードを振り返り、作者のメッセージを考察したいと思います。

 

鬼舞辻無惨が人間だった頃

鬼の始祖、鬼舞辻無惨は不老不死に近い肉体を持ち、人間を超越した能力があり、無敵のようにもに思えますが、唯一太陽の光を克服できていませんでした。

そんな無惨にも人間だった過去があります。

母親の腹の中にいた時から何度も心臓が止まり、生まれたときは脈も呼吸もなく死産扱いにされ荼毘にふされようとしていましたが、直前に産声を上げ、産屋敷一族の男子として誕生しました。

その後の無惨は病弱で、床に伏せることが多く、医者からは20歳まで生きられないと宣告されました。

そんな無惨に医者は青い彼岸花という薬を飲ませ懸命に治療を続けます。

しかし、病状が一向に良くならないことに腹を立てた無惨は医者を殺してしまいましたが、その後に青い彼岸花の薬が効き始め、無惨は鬼へと変貌していくのでした。

無惨は生に対する執拗な執念があり、それは7つの心臓と5つの脳を持つ肉体的特徴からもわかります。

彼の最終的な目的は完全なる不老不死でした。

 

黒死牟が人間だった頃

人間だった頃の黒死牟の名前は継国厳勝です。

そうです伝説の日の呼吸の使い手・継国縁壱の双子の兄でした。

二人は武家の家に生まれ、厳勝は後継ぎとして期待されていましたが、一方、縁壱は痣があるため、10歳で出家させられることが決まっていました。

しかし、ある出来事で厳勝は縁壱に剣の才能では遙かに劣るということを悟り、後継ぎの立場が危ないのではないかと不安に覚えます。

そして母の死をきっかけに、厳勝は縁壱に人格面でも遙かに劣っていたことを知り、縁壱に激しい嫉妬と憎悪を抱くようになりました。

そんな、厳勝の心の隙間に、無惨がつけ込み、上弦の壱・黒死牟が現れたのでした。

 

童磨が人間だった頃

人間だった頃の童磨は、瞳の虹があり髪が白橡色という理由で、宗教家の両親のもと、幼きころから教祖として崇められ、多くの迷える信者に寄りそってきたかのようにみえました。

しかし、頭の賢い童磨は極楽なんて存在しないという観念があり、極楽を信じる信者に対して、表向きは憐れみ、同情をしたフリをしていましたが、心の奥底では信者を頭の悪い存在として軽蔑していました。

また、教祖でありながら、童磨は仏も神の存在を認めない無神論者でした。

ある時、父親の色狂いに腹を立てた母親が父親をメッタ刺しして、母親も服毒自殺した後の様子を見た、童磨は寂しいとか悲しみという感情はなく、「血の匂いが臭いから早く換気しないと」と考えていました。

そんな、人としての感情や他人を思いやる心のない童磨にも無惨の魔の手が迫りました。

 

猗窩座が人間だった頃

猗窩座が人間だった頃は狛治といい、病で働けない父親と貧しい暮らしをしていました。

病弱の父親のために狛治は窃盗を繰り返していましたが、そのことを知った父親は、自殺してしまいます。

狛治は社会の不条理に憤りを感じ、途方に暮れていましたが、武道場を営む慶蔵と出会います。

慶蔵には恋雪という娘がいましたが、病で床に伏せていました。

狛治は恋雪を懸命に看病します。

そして二人はやがて恋に落ちて婚約し慶蔵の道場の後を継ぐことになりました。

いままで不遇な人生を歩んできた狛治にとって初めてとも言える幸せな時でした。

しかし、そんな幸せな時は長くは続きませんでした。

慶蔵の道場を快く思わない輩が、慶蔵の道場の井戸に毒を入れ、慶蔵と最愛の恋雪を殺してしまったのです。

最愛の人を亡くした狛治は復讐の鬼と化し、恋雪たちを殺した勢力をたった一人で壊滅させるのでした。

仇討ちを果たした狛治にも無惨の陰が忍びより、狛治は猗窩座となったのです。

takataka

この猗窩座の人間だった頃のエピソードが一番好き!ホントに切なくて、猗窩座に同情して涙したわ😭

 

鬼の正体からの考察まとめ

ここからは、鬼が人間だった頃のエピソードがなぜ、鬼との共生に結びつくのかという考察をまとめてみました。

鬼とは、私たち人間が誰しも抱く心の闇を表現した存在だと思います。

先程の鬼が人間だったころのエピソードから、激しい嫉妬他人を思いやれない心復讐心などが心の闇で、人間誰しも大なり小なりもちあわせています。

その感情は決して無くすことは不可能で、良心と折り合いをつけて克服しないといけないものです。

鬼の愈史郎が現在まで生きてるという描写は、誰にでもある心の闇(鬼)と上手く共存していこうというメッセージを伝えたかったのではないでしょうか。

その心の闇(鬼)を克服するには、鬼との戦いで主人公炭治郎ひとりではなく多くの仲間と連携し助けあうことで生まれる絆が、唯一の方法だということを伝えているように感じました。

また鬼の始祖無惨が抱く生に対する強い執念は生物としての基本的欲求でありますが、人間は本能のまま生きるのではなく、人との関わりの中で強く生きるべしというメッセージがあるのではないかと思います。

 

まとめ

『鬼滅の刃最終回その後ゆしろうが生きてる理由は?鬼の正体から考察!』と題してお届けしました。

鬼滅の刃、漫画では最終回を迎え、鬼滅ロスになってるファンの方は大勢いると思います。

これから映画やスピンオフ作品の連載もあるようなので期待しましょう!

今回は鬼・ゆしろうがその後も現代まで生きてる理由を鬼の正体から考察してみましたが、私が考えるに鬼とは人間の心の闇だったと思います。

そして、これからも鬼(心の闇)と共存しながら、より良く生きていこうというメッセージが鬼滅の刃から感じられました。

最後までお読みいただきありがとうございました。